ナチュラルメイクの関東とバッチリメイクの関西!なぜそうなった?

ご当地

東京には、日本全国から多くの人が上京して暮らしています。

色々な土地の人が集まっているのですが、一見すれば地方出身者とはわからないくらい、あっという間に都会に馴染みます。

それは東京では派手で目立つよりも、ナチュラルでシンプルな方がオシャレに見えるからなのかも知れません。

足し算ではなく引き算が求められるのは、メイクでも同じです。

東京では華やかなばっちりメイクよりも、自然なメイクの女性が多いです。

じつは、東京の女性のナチュラルメイクは今に始まったことではなく、江戸時代から続いていることなのです。

それに対して関西ではバッチリメイクの女性の方が目立つ印象です。

洋服も華やかなデザインが目立ちます。

ヒョウ柄の洋服とか、派手なイメージの大阪

都内で見かけるオシャレな女性は確かにシンプルでメイクもナチュラルだな

またしても関東と関西の違いが見えてきます。

なぜ関東ではナチュラル、関西ではバッチリとメイクの特徴が違うのか、その理由を考えてみましょう。

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お化粧の流行りについて

江戸時代までのお化粧の流行りは、京の都が発信源だったと考えられています。

宮中の公家たちの装いやお化粧が一般に広まり、アレンジされながら流行りとなっていったと考えられています。

江戸時代になって、各地から江戸に人々が集まってくるようになっても、都は京であり、憧れの土地だったのは変わりません。

ですが、江戸が発展を続けるうちに、江戸では京の都とは違う文化が生まれるようになります。

お化粧にも、江戸独自の文化が生まれたのではないでしょうか。

関東のナチュラルメイクの由来

関東の女性がナチュラルメイクが上手な理由は、江戸時代の女性の薄化粧の伝統文化と考えられます。

江戸の女性は白粉を塗ったあとに、あえて濡れた手ぬぐいで拭って薄化粧に仕上げるのが流行りました。

薄化粧が粋な江戸の女性だったわけです。

なぜ薄化粧が流行ったのかというと、お風呂に理由があったと考えられています。

江戸では人口が急増したため、狭い土地に長屋がどんどん建てられます。

風呂は公衆浴場、つまり銭湯に行くのが庶民の生活だったのです。

銭湯では、顔見知りの人たちと一緒に入浴します。

素顔も見せ合うわけですから、厚化粧で隠すよりも素肌の美しさが重要になったのです。

たとえば肌を美しくするために、ぬか袋で洗ったりするなど、スキンケアを入念にする女性が増えてきたのが江戸の美容事情だったわけです。

白塗りの厚化粧は、遊女や芸者などの職業のためのものであり、一般の女性は肌の美しい薄化粧が大いに流行ったのです。

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関西のバッチリメイクの由来

関西の女性が派手なイメージで見られるのは、メイクやファッションの色使いの印象が強いからではないでしょうか。

なぜ関西の女性はバッチリメイクが目立つのか、その理由を考えてみると、やはり宮中の文化が広まりやすかったからではないでしょうか。

素肌を見せることを控えるように、宮中では熱い白塗りをしていました。

その文化が庶民にも広まったので、お化粧は白粉を厚く塗るのが流行ったのです。

また、ファッションも華やかなものが流行ったため、お化粧も着物に負けないようにしたと考えられています。

そういうお化粧文化が伝統的に関西に残っているので、今でもバッチリメイクの人が目立つのではないでしょうか。

まとめ

江戸の女性の間に薄化粧が流行ったのは、京の都への対抗心もあったのかも知れません。

また、江戸では人口の男女比では女性が少なかったので、着飾ったりお化粧で厚塗りしなくても、自然体でもモテていたという説もあります。

理由は色々考えられますが、ナチュラルメイクでもバッチリメイクでも、土台の素肌の美しさは重要ですよね。

その点は関東も関西も、関係ないのではないでしょうか。

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