東京都新宿区歌舞伎町と言えば、日本有数どころか、世界有数の歓楽街と呼ばれています。
ちなみに、日本三大歓楽街は、歌舞伎町、すすきの(札幌)、中洲(福岡)です。
海外から日本に観光で訪れる外国人にも、大人気となっているほど歌舞伎町は有名です。
足を踏み入れたことがない人でも、イメージできる街ではないでしょうか。
ところで、歌舞伎町という地名について、不思議に思ったことはありませんか?
歌舞伎町なのに、歌舞伎の劇場はないよね
歌舞伎に関係する施設があるとは思えないし
昔は歌舞伎の劇場があったんじゃない?
大抵の人は、「昔は~」という推測で終わってしまうでしょうね。
別にその理由を知っても、何の得にもなりませんから・・・。
でも、せっかく気になったので、調べてみました!
歌舞伎町の地名の由来
結論から先に言います。
新宿区歌舞伎町という地名の由来は、歌舞伎とは一切関係ないのです。
ではなぜ歌舞伎町という地名になったのか、その理由は単純な話でした。
今の歌舞伎町の辺りは、第二次世界大戦時の東京大空襲で焼け野原になった地域です。
というか、東京は広範囲で焼け野原になったはずなので、この地域に限ったことではありません。
ただ、空襲後に東京の街ではあちこちに闇市ができました。
上野や新橋など、闇市からそのまま残った店も多かったようです。
新宿も同じく、闇市が出るようになりますが、その名残は今のゴールデン街のような奥まった路地にしかありません。
それは、歌舞伎町の地域は空襲後の早い段階で復興計画が立てられたからなのです。
新宿以外の闇市は、戦後しばらく経ってもそのまま長屋のような店舗と変化しながら残ります。
人々の暮らしのために必要な場所となっていくので、開発するのにも時間がかかってしまいました。
しかし新宿はスピーディーに開発が始まったのですね。
なんと終戦の4日後には、町会長だった人物が復興事業の計画をはじめたのです。
その時に歌舞伎の興行ができる劇場(歌舞伎場)を作る目標を立て、日本の芸能文化の一大拠点とするつもりで「歌舞伎町」という町名にします。
ただ、歌舞伎の劇場を建設する計画は上手く進まず、結果的に歌舞伎町という地名だけが残ったカタチになったのです。
残る2つの歓楽街の地名
歌舞伎に関係ないのに歌舞伎町という地名になった由来がわかったところで、せっかくなので日本三大歓楽街の残る2つのすすきのと中洲の地名の由来も調べてみました。
すすきのという地名の由来
薄野(すすきの)の地名の由来を予想すると、大半の人は「きっとすすきが広がる原っぱを開拓したからでしょう」と答えると思います。
ホントの由来はどうなのか・・。
調べた結果は、有力な説が2つありました。
1つは開拓に関わった工事の責任者が薄井という姓だったことから、この地名になったという説です。
2つ目は、もともとの地名に由来したという説です。
どちらが正解なのか定かではないのですが、1つ目の由来には複数の記録や証言があると言われています。
中洲という地名の由来
歌舞伎町、すすきのと並んで、日本三大歓楽街とされる福岡市博多区の中洲の地名は、他の2つのは違ってわかりやすい由来です。
中洲のある地域は、那珂川と博多川という2つの川に挟まれているからです。
地形がそのまま地名となったわけです。
まとめ
歌舞伎町を歩いていても、日本を代表する芸能文化である歌舞伎を感じさせるものがない理由がわかってスッキリしました。
歌舞伎とは無縁でも、戦後のカルチャーの移り変わりが残る街並みです。
日本人よりも、海外の人が惹かれる理由が少しわかった気がします。