エレベーターのパラドックスは例え話ではなく実話だったの?

不思議なルール

エレベーターに関することは、トラブルからイイ話、怖い話まで色々あります。

しかし今回はちょっと違います。

エレベーターのパラドックスという話です。

エレベーターのパラドックスとは、2人の物理学者が考案しました。

物理学ですか・・

それだけで苦手意識が

それな!

物理学というだけで拒否反応を起こしそうな人もいますが、今回はそういう難しい話ではありません。

エレベーターのパラドックスを民主的な物事の考え方を説明する際に、例えとして使うことがあるのです。

その例え話がもし実話だったらとても怖い話です。

詳しくご紹介しましょう。

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エレベーターのパラドックスとは

エレベーターのパラドックスとは、

ある高層ビルの高層階にいる人物が、下に降りたいのでエレベーターを待っています。

この建物のエレベーターは複数あるはずなのに、なぜか昇りのエレベーターばかり。

すでにその人物がいる階よりも高層階で呼ばれているため通り過ぎたり、下の階から乗った人がさらに高層部へいくばかり。

なぜ降りるエレベーターが止まらないのか・・。

このような現象について物理学によって考察したのがエレベーターのパラドックスです。

あるマンションの自治会

このエレベーターのパラドックスは物理学ですが、建物の面積と確立が考察のカギのようです。

高層マンションと仮定すると、エレベーターを滅多に利用しないのは1階の住人です。

1階の住人以外は、エレベーターを頻繁に利用することになります。

そう考えると、エレベーターの利用者のいる面積のほうが圧倒的に大きいです。

そこからあるトラブルが考えられるのです。

エレベーターは共用部分なので、修理や点検などのメンテナンスにかかる費用は、住民がそれぞれ平等に分担するものです。

1階の住人が結束して拒否する

1階の住人は、普段は滅多にエレベーターを使いません。

それなのになぜエレベーターの修繕にかかる費用を負担しなければいけないのか・・。

そんな不満を内心持っている人物が1階の住人に呼びかけて、自治会で費用の負担を拒否するように結束した場合はどうなるでしょう。

自分たちは使わないものだから払いたくないというのは、一理あるように思います。

しかし全く使わないわけではありませんし、そのマンションを購入するときには共用部分の修繕費などは自治会費から支払うような契約になっているとすれば拒否は認められません。

共用部分のある分譲住宅では、このようなトラブルを回避するために契約書の段階で確認しているはずなので拒否すること自体が契約違反となるでしょう。

ただ、賃貸物件だったり、契約書に細かい条件がなかった場合にはこのような事例がないとは限らないのです。

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多数決では不利

前述のような事例は現実にはないと思いますが、マンションの自治会では想像を超えるようなトラブルが起こることもあるそうです。

もしも1階の住民が費用の負担を拒否したとしても、自治会というのは複数の役員が話し合いますが、協議してもまとまらなければ多数決で採決することになるでしょう。

そうなると、1階の住民は圧倒的に不利です。

何しろエレベーターを使う住民のほうが圧倒的に多いのですから、負けてしまうでしょう。

1階の住民としては、エレベーターを使う頻度の高い人と同じ割合の費用負担が納得できないのかも知れません。

そういう心情をほかの住民が理解して汲み取ってあげれば、話し合いの段階で1階の住民の費用負担割合を少し軽くする案も出たかもしれません。

しかし一切支払わないという強固な態度で対決姿勢を見せてしまうと、お互いに意地になってしまうのではないでしょうか。

民主主義は単純な多数決ではない

エレベーターのパラドックスをもとに、民主主義をわかりやすく説明するのは、身近な事例として例えやすいからだと思います。

たとえば、1階の住民が結束して

私たちはほとんど使わないのだから

費用負担はナシでいいだろう

と言い出したことに、1階以外の住民が怒ってしまったとします。

その建物の高層部に住んでいる人物が1階の住民を懲らしめてやりたいと考えて、1階の住民以外に呼びかけてエレベーターのメンテ費用をすべて1階の住民だけで負担するという理不尽な提案をしてしまったら・・。

こうなると多数決では1階の住民の負けは明らかですよね。

しかしこれはあまりにもおかしな話で、到底1階の住民が納得するわけありません。

民主主義は多数決で決まると高層部の住民たちが言い張ったとしても、この論争は単純な多数決で決められることではないのです。

もしも法廷の場にうつれば、そんな理不尽なことは却下されるのが目に見えています。

そうならないためにも、1階の住民の少数意見をはじめから軽く考えずに、時間をかけて丁寧に話し合い、お互いに譲歩して合意に至らなかった最終手段として多数決による採決をするものなのです。

これが民主主義が単純な多数決ではないということを説明するのに使われる、エレベーターのパラドックスから生まれた話です。

実話という説もありますが、似たようなことがあったとしても実際に法廷論争になったような事例は見つかりませんでした。

まとめ

多数決は民主主義の基本というのは間違いないのですが、その前に少数派の意見もきちんと聞くという段階をすっ飛ばしてしまうのは民主主義とは言えないのです。

よく考えてみればわかりますよね。

なんでも多数決で決めてしまえば、独裁も簡単です。

そんな恐ろしいことにならないためにも、民主主義の根底には少数派を無視しないことが大切なのでしょうね。

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