お風呂のお湯の温度設定は、人それぞれ好みがありますよね。
ちなみに我が家のお風呂のお湯は40℃設定になっています。
ほんとうはもう少し熱めのお湯が好きなのですが、家族はぬるいお湯が好きなので、40℃にしています。
ぬるめのお湯が好きな家族は、生まれも育ちも東京の下町です。
親子三代の江戸っ子ではないけれど、東京生まれなので、本人的には「チャキチャキの江戸っ子」と自称しています。
江戸っ子って熱いお風呂が好きじゃないのか!
それは銭湯だけの話でしょ
それってホントなの?
よくわからない話ですよね。
ホントに江戸っ子は熱いお湯が好きだったのなら、その理由は何なのか気になります。
江戸っ子が熱いお風呂が好きだと言われる理由について、ひも解いてみましょう。
江戸っ子の好みの湯温度
江戸っ子が熱いお風呂が好きと言われる理由は、銭湯にあります。
江戸時代の江戸の街は、とにかく人口密集地でした。
木造の長屋が並んでいて、家にお風呂があるのはごく一部だけです。
庶民の多くは銭湯を使っていたのです。
江戸っ子は、熱いお湯でもガマンして入り、長湯はしないのが粋だと思われていましたから、銭湯のお湯の温度はかなり高めだったそうです。
実際に江戸時代の銭湯のお湯の温度を記録したものがあるわけじゃないのですが、その名残は1991年まで続いていたようです。
色々な地方から東京に出てきて、銭湯に入るとお湯の熱さに驚いた人も多かったようです。
江戸時代でもないのに、なぜ銭湯のお湯の温度が高めの風習が続いていたのでしょうか。
その理由を調べてみると、なんと都の条例で銭湯のお湯の温度は42℃以上というルールがあったそうなのです。
それで熱いお湯が東京の銭湯の代名詞になったのだと思います。
なぜ温度を高めに設定する条例を作ったのかという理由は、定かではありません。
もともと江戸時代の銭湯では、心地よい温度にすると、長湯する人が増えるので混雑を防ぐために熱いお湯にしたという説があります。
ほとんどの庶民が銭湯を使っていた時代では、それも知恵だったのかも知れません。
東京都の条例ができた時も、まだ家風呂の普及率がどれほど高くなかったのかも知れませんね。
江戸っ子はやせ我慢してただけ
江戸っ子が好んで熱い風呂に入っていたわけじゃなく、ただ熱い風呂でもガマンしていただけのようです。
ということは、江戸が東京になって、風呂付の住宅で暮らすようになれば、必然的にやせ我慢する必要はなくなります。
自分の好みの温度でゆっくり入れるようになったはずです。
ただ、江戸っ子云々ではなく、自宅のお風呂が普及してからもお風呂のお湯の温度設定は簡単ではありませんでした。
今みたいに、ボタンを押せば好みの温度になったり、すぐに追い炊きできるわけではなかったのです。
家族が多いと、お湯の温度や湯量を最後までキープするのは難しかったので、熱めのお湯にして一番風呂に入るお父さんたちはやせ我慢するしかなかったのだと思います。
便利になったので、やせ我慢する必要もなくなってきたのでしょうね。
お風呂の適温の地域性
お風呂のお湯の温度の好みは、季節によって変わるでしょう。
また寒冷地なら高めを好みそうなイメージがありますよね。
ですが、お風呂のお湯の設定温度を調査した給湯器メーカーのデータを参考にすると、寒さとお湯の温度はあまり関係ないようです。
設定温度が41.6℃と最も高かったのは愛媛県です。
次いで広島県の41.4℃。
反対に設定温度が40.4℃と低かったのは岩手県と福岡県です。
地域性ではなく、お湯の温度は個人差があるのは当然なのでしょう。
まとめ
家のお風呂があるのが当たり前になった今、銭湯の数はどんどん減っています。
ですが、昔ながらの銭湯の根強いファンもいます。
スーパー銭湯とはまた違った楽しみ方ができるので、残って欲しい文化だと思います。